本当にだるい

本当にだるい。

だるいと書くことに何の意味があるかわからない。
けれど、何もしていないときの自意識が全て自分に向かってくる感覚が本当にだるくて、絶望で気絶しそうになってしまうから意識を逸らさないといけない。
夜にどかーんとくるたびに本当に悲しくて涙が出そうになる。実際には涙が出ないから、悲しいだけだけれど。いきなり100億円あたらないかな・・・。


JOKERという映画を観た。一世を風靡した映画だ。
巷では、一人ひとりがJOKERを内面に秘めていて〜などという感想が跋扈していた。
俺は絶対にそういうミーハーな感想は持たないぞ、と意気込んで観たものの、なんか疲れて途中でやめようかなとか思ってしまった。
そもそも、この主人公が幸せになろうが不幸になろうが本当にどうでもいい。
JOKERだけでなく、ほとんどの映画を観ているときにそう感じてしまう。感情移入などあったものではない。閑話休題

何回か休憩を挟んだ視聴後、サルトルっぽいなと思った。多分これをTwitterで書けば頭が良さそうに見えるからという見栄から生まれた感想だ。
だけどサルトルに関して、別に詳しくもないので、自分の感想に自信が持てずグーグルで検索。それっぽい記事を見つけて安心する。
それが最初の感想。なんて中身がないんでしょう。

主人公のアーサーという男、まっすぐに生き過ぎて道を踏み外してしまうタイプだ。
こういうタイプが1番怖い。歪曲した世界でまっすぐ生きるということは、瞬く間にはみ出てしまうことを意味するじゃん。
カミュの『異邦人』でムルソーは観念の中に生きた結果、アラブ人を銃殺してしまうみたいに。
まあ、誰にでも不運が続いたり、抑圧されたり、理不尽を抱えてたときに、視野狭窄になって、そういうときに頭の中で「やっちゃえよ」という声が聞こえたら、銃撃なり、暴力なり起こしてしまうかもしれないな。

これが2つめの感想。

ここまで書いていてなんだが、真面目に観てなかったのでお門違いの話をしているかもしれない。馬鹿っぽく見えてたらやだな・・・。

みなさんごめんなさい。明日もう一回観てみます。




1円を自販機の下に落とした。
拾おうとして屈んで探してたら、運悪くジュースを補充する人間がきて、すごく怪訝な目で見られて情けなかった。
俺の心の中には落とした1円を拾いたいという気持ち以外はなかったのに。
俺は幼少の頃、米を最後の一粒まで食べろと教育された人間。実家は農業を営んでいる。
米を1粒残さず食べろということはポテチは袋まで舐めろということだし、1円だって無駄にするなということだ。
羞恥心から急ぎ足でその場を立ち去ったが、現場から遠ざかるたびになんか負けた気がして悔しさがこみ上げてきた。


あーカロテンが皮膚になっていく感じがこみ上げてきた。